引用:ニューズウィーク日本版
東大の入学式でのスピーチが感動てきでしたが、こちらの記事も感動的な内容です。
一人で悩んでいる人にも見てほしい内容
人は、自分一人ではない、自分一人では何もできない、環境、周りに目をやり感謝し、ついている人も、ついてないと思っている人も、一度読んでみてほしい内容です。
久保田智子の東大日記
<上野千鶴子さんが東大入学式祝辞で、頑張る前から意欲をくじかれる人たちの存在に言及した。それを聞いて、かつての友人たちの顔が浮かんだ>
この私が、本当に、東大生になったのだろうか。発行されたばかりの学生証を見つめ、間違いでないことを何度も確認したのでした。そこには確かに「東京大学」と書かれており、その横に印刷されているのは私の顔写真です。今年の4月、私はオーラルヒストリーの研究をするために東京大学博士課程に入学しました。私が東大生になるなんて。子供の頃の自分に教えてあげたら、どんなに驚くだろうと思います。
「この子は落ちこぼれなので、このままでは不良になると思います」。そう担任の先生に告げられたのは、私が小学2年生の時。保護者面談でのことでした。そうか、私は落ちこぼれなんだ。子供だった私は、道理で勉強が分からないはずだと、さほどショックを受けた記憶はありません。でも母は違いました。私が落ちこぼれと言われたことよりも、不良になるということに動揺し、社会に迷惑をかけないようにしなくてはと感じたそうです。
それからは母が私の家庭教師になりました。母も勉強は苦手で、教えることは一苦労だったようです。問題集は母の手作りでしたが、ノートに手書きで書かれた問題には何度も書き直した跡が残っていました。母の懸命なサポートのお陰で、小学校高学年にはなんとか私も学校の勉強を理解できるようになったのでした。
でも不良になりました。中学・高校時代は堂々と校則違反し、ピアスと長いスカート姿で、校内で風を切っていました。ただ、落ちこぼれだからではなく、周りからの影響です。友達みんな同じような格好で、それ以外のおしゃれなんて知らなかったのです。
選択肢のなさはファッションだけでなく、進学についてもそうでした。中高の私の女友達は、多くが広島県内にある短期大学への進学を希望しました。もちろん短大以外の大学の存在は知っていましたが、自分たちには関係ないと思っていたのです。当然私も広島の短大に進むのだろうと思っていました。
ところが、私の父が東京に単身赴任することになり、東京の大学という遠かった存在が私にとって少し身近になりました。東京に行ってみたい。英語が好きだから外国に関係することを学びたい。そう思った私は東京の大学を闇雲に探し、東京外国語大学なら東京で外国のことを学べるに違いないと受験してみることにしたのでした。そんな私の決断を友人たちは「智子は違うけーね」と異物扱いし、私も「そんな実力ないよね」と記念受験であることを強調しました。結果は東京外国語大学だけでなく、そのほかの東京の私大も全て合格でした。
もし友人たちも挑戦していたらどうだったろうと思います。友人の中には私よりも才能のある人たちがたくさんいました。自分たちにも短大以外の選択肢があると感じていたら、彼女たちは全く違った人生を送ることになっていたはずです。もちろん短大進学が間違っているわけではありませんし、現在の彼女たちを否定するつもりはありません。他の選択肢が今より幸せだったと断定するつもりもありません。ただ、十分な選択肢が与えられその中から選択できていただろうか、自分たちにはそんな価値はないと思わされていなかっただろうか、と思うのです。
その後私はアナウンサーになり、今年2月にはアメリカ・コロンビア大学で修士号を取得しました。4月からは東京大学に通っています。学部入学式では、上野千鶴子さんがスピーチし、大きな話題になりました。
「あなたたちが今日『がんばったら報われる』と思えるのは、これまであなたたちの周囲の環境が、あなたたちを励まし、背を押し、手を持ってひきあげ、やりとげたことを評価してほめてくれたからこそです。世の中には、がんばっても報われないひと、がんばろうにもがんばれないひと、がんばりすぎて心と体をこわしたひとたちがいます。がんばる前から、『しょせんおまえなんか』『どうせわたしなんて』とがんばる意欲をくじかれるひとたちもいます。
あなたたちのがんばりを、どうぞ自分が勝ち抜くためだけに使わないでください」
スピーチを聞きながら、かつての友人たちの顔が浮かびました。そして母の手書きの問題集を思いました。頑張るということは個人の行為ですが、頑張ることを可能にしていること、そして報われるというのは、個人を超えた周囲との関係性から成り立っていたのだと感じました。だとすると、東大に行く人と、行かない人にどんな差があるというのでしょうか。それはその人の努力とは別に、「運」にも大きく左右されているのではないかと思います。つまり環境が整えば誰にでも可能性があり、東大に入ったからといってその人自身が変わるものではないのです。
「赤門の前で、土下座して何かお願いしている人がいましたよ。日本では東大神話があるんですね」。同じゼミの中国人留学生の友人が驚いた様子で教えてくれました。さすがに赤門に土下座しても何も成就しないだろうと笑ってしまいましたが、考えてみると私も長く東大を神のような絶対的な存在と感じていました。東大生と聞けば、その人の如何に関わらず、別世界の人なのだと思っていました。
しかし実際に入学してみると、東大は決して完全無欠の存在ではなく、とても素朴で温かです。様々な巡り合わせで、様々な志を持った学生たちが集まっています。もしこのコラムが神格化された東大とのギャップを表現し、将来の受験生たちの選択肢を広げることに寄与できるとしたら、とても嬉しいです。
プロフィール 久保田智子
ジャーナリスト/東京大学博士課程在籍。広島・長崎や沖縄、アメリカをフィールドに、戦争の記憶について取材。2000年にTBSテレビに入社。アナウンサーとして「どうぶつ奇想天外!」「筑紫哲也のニュース23」「報道特集」などを担当。2013年からは報道局兼務となり、ニューヨーク特派員や政治部記者を経験。2017年にTBSテレビを退社後、2019年アメリカ・コロンビア大学にて修士号を取得。現在は東京大学学際情報学府博士課程に在籍。研究テーマはオーラルヒストリー。東京外国語大学欧米第一課程卒。横浜生まれ、広島育ち。
Twitter @tomokokubota